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5月20日の特集NEWS
大阪・石山本願寺を訪ねて

最近、歴史再認識の風潮の高まりから、
古寺を散策するのが趣味だいとう方も多いのではないでしょうか。
でも、跡地に石碑がポツンと建っているだけのようなスポットに
目を向ける人は少数派でしょう。
大阪の石山本願寺もそういう古寺のひとつです。
豊臣秀吉が、この石山本願寺が炎上、焼失した跡地に大阪城を築城したため、
石山本願寺があったとされる推定地を示す石碑は、
今も大阪城公園内にひっそりと建っています。
本願寺というと京都のイメージがありますが、浄土真宗の本山としての「本願寺」は、
歴史上のさまざま軋轢の中で近畿の各地を転々とした経緯があり、
石山本願寺もまた、そのうちのひとつです。
こと戦国時代前後の、激しい政治的なやり取りや紛争には宗教すら無縁ではなく、
その中で特に民衆に広く信仰され、一揆などの反乱の元凶とみなされた浄土真宗は、度々、時の権力者や他宗派と対立しており、
そんな中でこの石山本願寺も戦国時代末期には石垣などを築き、
お寺というより要塞のようになっていたと伝えられています。
10年にも及ぶ「石山戦争」
石山本願寺を舞台にした浄土真宗と織田信長との戦いは「石山戦争」と呼ばれ、
本願寺側が篭城戦を行って10年という長期戦になりました。
織田信長とお寺といえば、比叡山延暦寺の焼き討ちという話も有名ですが、
延暦寺は僧兵など軍事力を持ち、京都の物資流通の一部を牛耳るなど、
お寺自体が強力な政治力を持っていて、
それが体制側としては恐ろしい部分でありました。
一方、浄土真宗は一般民衆への影響力が
時の権力者にとって脅威であったのではないかと思います。
同じ織田信長と仏教徒の争いでも、石山本願寺で繰り広げられた戦いと
延暦寺との戦いは多少性質が違うのかもしれません。
石山本願寺は焼失し、今は跡地の石碑しかありませんが、
その石山本願寺を舞台に起った戦いは史実として残っています。
平和や人々の安寧を願う宗教と、政治や社会との摩擦・軋轢。
これは古い時代に起った石山本願寺や延暦寺の例だけでなく、
現代のオウム事件や、その他新興宗教の問題、
あるいは宗教をかたる詐欺などの犯罪という問題にも、
一部どこか通じる話ではないでしょうか。
そういったところに想いを馳せる意味でも、たまにはゆっくりと史跡や古寺を訪れて、
またその場所の歴史的な背景を調べてみるのも良いかも知れません。
石山本願寺および本願寺の変遷についてはwikipediaにもページがありますので、
調べてみるのもいいですよ。